写譜と浄書

Facebookの方では少し触れていたのですが、

先日、テレビの「関ジャム 完全燃SHOW」という番組の中で、

「関ジャム流ハローワーク 音楽職業図鑑 〜謎の職業 写譜職人の超細かい仕事術」として、

写譜職人さんのお仕事が紹介されていました。

 

写譜は、番組収録やコンサートの現場で使われる楽譜を整える仕事、

私が従事する浄書は、出版譜のために楽譜を整える=版下を作る仕事。

目的も違えば、求められる技能も異なります。

 

しかし、「楽譜を読みやすく清書する」という点において目指すところは同じ。

勝手に親しい気持ちをもって、番組を拝見しました。

 

実際のお仕事ぶりが紹介されていましたが、まさに職人技、ですね。

レイアウトやバランスを考えながら、あのスピードで写譜していくには、

どれほどの経験の積み重ねが必要だろうかと気が遠くなるようでした。

 

「作曲家と演奏家をつなぐことが写譜職人の使命」

「清書した楽譜が、ときには何百年も後の人々に演奏されるかもしれない(ロマン)」

 

ゲストの写譜職人、柳田達郎さんの言葉には、

同じ楽譜制作に携わるものとして共感を覚えました。

私のようなひよっこが、共感を覚えたなどと言っては失礼にあたるかも

しれませんが…。

 

改めて初心に還り、研鑽を忘れずお仕事をしていきたいと思いました。


ところで、「写譜」と「浄書」の違い。

上に書いただけではなかなか解りづらいところがあるので、もう少しつっこんで書いてみます。

 

写譜は、基本的には出版を前提としません。生まれたばかりのホットな曲を、

いち早く演奏家のために整えることが第一の目的となります。

 

レイアウトや配置の微調整に時間のかかるコンピュータソフトでは

このスピード重視のお仕事に対応しきれないため、

いまでも手書きによる写譜は非常に重要な位置を占めています。

 

なお、番組内でも、コンピュータが適さない理由が紹介されていましたが、

ゲストの柳田氏も指摘されていたように、微調整が「できない」から、というわけではありません。

人の手であれば感覚でパッと対応できる「見やすく、美しく整える」作業を、

ひとつひとつコンピュータにわかるやり方で指定していかなくてはならないため、

時間がかかるのです。

 

たとえば、こんな例を思い浮かべていただくと良いかもしれません。

「がくふじょうしょ」という文字を、紙の真ん中に右肩下がりに書きたいとします。

ただし、ひとつひとつの文字は通常の角度(紙の上下に対して平行)で配置します。

手書きであれば、もちろん書くのにセンスと技術は要りますが、適した筆記具があれば

ものの数分もかかりません。

しかし、同じ作業をコンピュータで行うとすれば、

文字列が紙の中心にくるよう1ページの行数設定やマージン設定を直し、

文字列を、「が」「く」「ふ」「じ」「ょ」「う」「し」「ょ」といちいち改行しながら入力し

インデントも調整、小書き文字「ょ」と他の文字との間が不自然にならないように行間設定を直し、

適したフォントを選び、フォントの大きさや太さなどを調整し・・・と、その作業量は膨大になります。

もし急いでいたら、まして、手書きが美しいのであれば・・・。迷わず手書きを選びますね。

これと同じことが、写譜のお仕事についても言えます。

 

 

一方、浄書は、出版あってのお仕事です。

 

楽譜出版の黎明期には、手書きの楽譜をそのまま印刷にまわす技術(写真製版術)が存在しませんでした。

そのため、版下を刻印する特殊な職人が必要とされ、「浄書」として発展していきました。 

(浄書発展の歴史については、楽譜探訪-浄書の歴史にて紹介しています。こちらもぜひご覧ください)

 

 

それが、長い歴史の中で、もっとも「標準的な」楽譜の見た目として定着し、

人々に認知されるようになっていったということです。

 

浄書の仕事は、楽譜を、こうした、いまでも流通譜の主流を占める標準的な見た目に

整えることが第一の使命なのです。

 

実は、写真製版術が発達した現代では、必ずしも浄書譜は必要ないものかもしれません。

いわゆる「写譜」を、そのまま印刷に回し流通させることも可能だからです

(実際、写譜職人による手書き譜面を出版していた出版社も存在します)

それでも浄書が廃れないのは、500年以上にわたる浄書と印刷の歴史があってのこと、

といえるかもしれませんね。