「写譜」と「浄書」。
どちらも楽譜を作成するお仕事ですが、その中身はまったく違うものです。
写譜は、番組収録やコンサートの現場で使われる楽譜を整える仕事、
私が従事する浄書は、出版譜のために楽譜を整える=版下を作る仕事。
写譜は、基本的には出版を前提としません。生まれたばかりのホットな曲を、
いち早く演奏家のために整えることが第一の目的となります。
レイアウトや配置の微調整に時間のかかるコンピュータソフトでは
このスピード重視のお仕事に対応しきれないため、
いまでも手書きによる写譜は非常に重要な位置を占めています。
人の手であれば感覚でパッと対応できる「見やすく、美しく整える」作業を、
ひとつひとつコンピュータにわかるやり方で指定していかなくてはならないため、
時間がかかるのです。
たとえば、こんな例を思い浮かべていただくと良いかもしれません。
「がくふじょうしょ」という文字を、紙の真ん中に右肩下がりに書きたいとします。
ただし、ひとつひとつの文字は通常の角度(紙の上下に対して平行)で配置します。
手書きであれば、もちろん書くのにセンスと技術は要りますが、適した筆記具があれば
ものの数分もかかりません。
しかし、同じ作業をコンピュータで行うとすれば、
文字列が紙の中心にくるよう1ページの行数設定やマージン設定を直し、
文字列を、「が」「く」「ふ」「じ」「ょ」「う」「し」「ょ」といちいち改行しながら入力し
インデントも調整、小書き文字「ょ」と他の文字との間が不自然にならないように行間設定を直し、
適したフォントを選び、フォントの大きさや太さなどを調整し・・・と、その作業量は膨大になります。
もし急いでいたら、まして、手書きが美しいのであれば・・・。迷わず手書きを選びますね。
これと同じことが、写譜のお仕事についても言えます。
一方、浄書は、出版あってのお仕事です。
楽譜出版の黎明期には、手書きの楽譜をそのまま印刷にまわす技術(写真製版術)が
存在しませんでした。
そのため、版下を刻印する特殊な職人が必要とされ、「浄書」として発展していきました。
(浄書発展の歴史については、楽譜探訪-浄書の歴史にて紹介しています。こちらもぜひご覧ください)
それが、長い歴史の中で、もっとも「標準的な」楽譜の見た目として定着し、
人々に認知されるようになっていったということです。
浄書の仕事は、楽譜を、こうした、いまでも流通譜の主流を占める標準的な見た目に
整えることが第一の使命です。
実は、写真製版術が発達した現代では、必ずしも浄書譜は必要ないものかもしれません。
いわゆる「写譜」を、そのまま印刷に回し流通させることも可能だからです
(実際、写譜職人による手書き譜面を出版していた出版社も存在します)。
それでも浄書が曲がりなりにも生き残り続けているのは、
500年以上にわたる浄書と印刷の歴史の中で、
多くの浄書家が美しい楽譜を世に出そうと奮闘し続け、
また、それを音楽家、愛好家が愛し続けてくださっているから、
といえるかもしれません。
浄書譜独特の美しさは、これからも失われないでほしいなと思うもののひとつです。